鶴岡八幡宮
⛩ 神社

鶴岡八幡宮

📍 鎌倉市 🌸 春 ⏱ 1〜2時間 📅 1063年創建

当所について

鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、鎌倉の精神的・象徴的な中心地であり、市内屈指の重要性を誇る神社です。武家の古都・鎌倉を象徴するこの聖域は、源氏の守護神であり武運の神として崇敬される「八幡神」を祀っています。若宮大路の桜並木の先に位置し、小高い丘の上に鎮座する朱塗りの本殿と大石段は、かつての武家政権の威容を今に伝えています。初代将軍・源頼朝公によって創建され、鎌倉幕府の守護神として、武士の力強さと優雅さが融合した建築美を誇ります。境内にある「源氏池(三つの島)」と「平家池(四つの島)」は、かつての氏族間の歴史的な宿命を物語り、参拝者は静寂な空気の中で中世日本の礎を築いた侍たちの魂と歴史の鼓動を感じることができます。ここは、武士の時代の記憶が現代の静謐な祈りの中に脈々と息づいている場所です。

由緒

鶴岡八幡宮の歴史は、康平6(1063)年、源頼義公が前九年の役での勝利を感謝し、京都の石清水八幡宮を由比郷(現在の材木座・元八幡)に勧請したことに始まります。治承4(1180)年、鎌倉幕府の創設者であり初代将軍となる源頼朝公が、新しい武家政権の守護神として現在の地へ遷座させました。頼朝公は当宮を鎌倉の宗教・政治の中心に据え、源氏一族および武士階級全体の総鎮守として確立したのです。数百年にわたり、天台宗の寺院としての側面も持つ「神仏習合」の形態をとっており、その特有の伽藍配置に当時の名残が見られます。

弘安3(1280)年の大火など、幾度もの火災や戦火に見舞われましたが、その都度再建されてきました。明治時代の神仏分離政策(1873年)を経て、純粋な神道神社へと復しました。現在の八幡造(はちまんづくり)の本殿は、主に江戸時代に再建された姿を今に伝えています。また、建保7(1219)年には、大石段にて三代将軍・源実朝公が暗殺されるという、鎌倉幕府の運命を揺るがす歴史的事件の舞台ともなりました。

🎴 豆知識

01

主祭神である八幡神(応神天皇)をはじめ、神功皇后、比売神(ひめがみ)を祀っています。源氏一族および武家階級全体の守護神(氏神)として篤く崇敬されてきました

02

境内にある二つの「源平池」には深い意味が込められています。源氏池には「産(さん)」に通じる3つの島、平家池には「死(し)」に通じる4つの島が配置され、両氏族の歴史的な宿命を象徴しています

03

大石段を上った先にある「本宮(上宮)」からは、鎌倉の街を一望できます。階段脇には2010年まで樹齢千年を超える大銀杏があり、三代将軍暗殺事件の舞台(隠れ場所)になったと伝えられています

04

例大祭(9月14日〜16日)では、疾走する馬の上から的に矢を射る「流鏑馬(やぶさめ)」や、伝統的な舞、神輿渡御が盛大に執り行われます

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参道である「若宮大路(段葛)」は、桜並木と石灯籠に縁取られており、特に春の桜の開花時期には息をのむような美しさを見せます

06

明治時代の神仏分離令までは、境内に仏教寺院も建立されていました。そのため、現在の伽藍配置にも天台宗や禅宗の寺院に近い名残が感じられます

07

境内には、国宝などを展示する「鎌倉国宝館」や「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」のほか、春と冬に開園する美しい神苑ぼたん庭園があります

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源頼朝公が自らの勝利を祝い、末永い繁栄を願って参道に桜を植えたのが、現在の美しい景観の始まりだと言い伝えられています

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建保7(1219)年、三代将軍・源実朝が暗殺された地でもあり、源氏直系の血筋が途絶えるという鎌倉幕府の重大な歴史転換の舞台となりました

10

鎌倉で最も参拝客が多い神社であり、正月三が日の「初詣」には全国から数百万人もの人々が訪れ、大変な賑わいを見せます

📍 アクセス